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Posted by naturum at

2009年12月10日

城山(2009.11.29)

板橋城址「城山」

2009年11月29日 栃木県日光市板橋  城山  記録者 副隊長

思わぬ良い天気に誘われてて一人で里山を歩いている。里山の場所は日光市(旧今市市)の板橋地区。

確か二年ほど前の新聞で地元が登山道整備に力を入れて登山道が開かれたという記事を読んだ。その時に「ああ、山を切り開いてわざわざ登山道を新しく作るのかぁ、そのままじゃだめなのかなぁ・・・」と漠然とながらその功罪を考えたのがこの里山である。

名前は「城山」(443m)で山頂には「板橋城跡」がある。宇都宮市そのものが城下町であるからなのか、いにしえの武将がこの辺りを戦略上で重要な地形と見定めたのか、宇都宮市近郊には山を城に見立てて砦の建築を施した「山城」というものが数か所ある。ここ「板橋城」もその一つで1504年から1520年にかけて宇都宮氏一族が築城し、小田原北条氏家臣の板橋氏の手を経て徳川一族へと城主が変遷して行ったという記録がある。時は戦国時代という古い歴史だ。(お城だから当たり前か・・・笑)

さて、現在に時間を戻して登山口から歩いて行く。等幅で綺麗に敷き詰められた砕石の小道を進むといきなり轍の跡がある幅広い林道に飛び出す。「???」と首を傾げながらも道標が指す「板橋城跡」を目指して進む。5分も歩くと小広い車止めに到着して本格的な登山道が始まる。
脇に小沢が流れる登山道はスギ林の奥に向かい緩やかな傾斜で一直線に進んで行く。突き当りから右に折れて丸太で組んだ階段が斜面をズンズン登って行く。私の場合この階段というのが登山で一番疲れる。何の事は無い休むタイミングが取りにくいというだけである。(笑)

約150mの標高差を階段8割で登り詰めると山頂直下の「天狗岩」との分岐に出る。山頂を優先に右に折れ斜面を登る。視線の先は青空が大きく開け東屋の屋根がちょこんと見えている。如何にも展望の良さを想像させる景色である。

頂上に登り詰めると東屋の中に女性が二人座っていて外で男性が威勢よく両手を振り体操をしながら周囲の説明をしている。脇を通りながら軽く挨拶をすると小声で「あっちから登って来たんだねぇ・・・」という声が聞こえる。山頂は広く小さな窪みを挟んで全長50mほどの平坦な地形である。東屋を背に平たん部の先まで行ってみるとそちらにも登山道が有る事がわかった。どうやら彼女たちはこちらから登って来たらしい。

この山頂、周囲の眺めは良い。開けていないのは北東方面くらいで東に鞍掛山から古賀志山、鹿沼市街の展望を挟んで二股山などの鹿沼市近郊の山々から遠くは県南の山々、転じて男体山から大真名子・小真名子、女峰、赤薙と並び最後は鶏頂山や釈迦ケ岳・高原山が見える。
山頂にある「城山」の案内板には冒頭の歴史説明がもう少し詳細に記されていてその歴史を振り返りながら城主の如く周囲を見渡すのも面白い。
伐採新しい切り株に腰掛けてスケッチブックを開いてお絵かきを始める。隊長が居ない時の暇つぶしに始めたスケッチである。現地で下書きだけ済ませて帰宅後に暇を見て彩色しているが、本当なら現地で全て仕上げてしまえる腕になりたい願望はある。

そうこうするうちに東屋脇に白杭が立っている事に気が付いた。「あれ?」と思うが早いか「これは三角点表示杭だよなぁ・・・」と気が付き寄り添うように頭だけ出している御影石に気が付く。「おお、これは三角点様、気が付くのが遅れて申し訳ありません!」と頭こそ下げないけれど敬礼をする。
油断というのかそれこそ鼻から期待もしていなかった三角点の所在に嬉しさ倍増でカメラを構える。帰宅後に「点の記」を調べたら明治34年に選点されている三等三角点だった。

山頂で30分ほどあれこれと動き回り下山にかかる。帰路「天狗岩」なる物に一応興味を抱いて下山路を通り過ぎて南に進む。途中「畳石」という奇岩?を越えて「天狗岩」まで5分ほど。「天狗岩」はいにしえの物語曰く、「城山の危機に日光山の天狗が降り立った岩」との事でありました。(笑)

分岐まで引き返し往路を一気に下山。車止めを過ぎて林道を歩いている時に往路では気付かなかった異様な洞窟を目にして好奇心旺盛な中年オヤジは左手の斜面に取り付く。近くまで行くとその規則正しい四角形の洞穴から「ああ、大谷石の切り出し場かぁ・・・」と察しが付く。しかし大谷石の採石が盛んだった大谷町は古賀志山をは挟んだ向こう側であるから「こんなところまで・・・」と結構意外な思いではあった。

帰宅後、「城山」から「板橋城」というキーワードを得て少し調べてみたら「猪倉城」「小倉城」というのが近くに在る事がわかった。どちらも「板橋城」に並び当時は威勢を誇った様子が垣間見られる。突っ込んだ興味とまでは行かないが、機会が有ればこの二つの城址である里山を歩いてみたいと思う今回の登山だった。

 
  
タグ :栃木


Posted by okirakutozan at 12:15Comments(0)栃木