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Posted by naturum at

2009年10月29日

謎解き~里山道を歩く~ルート調査・2

旧四賀村一周境界線ハイキング・バリエーションルート調査山行・2
 ~里山道を歩く・・・四賀村五輪平から明科町大足へ~
2009年10月22日(木)  長野県松本市・安曇野市境界山域(無名)
記録者 山のあしおと小学校 木偶野呂馬


 五輪平口から名峰戸谷峰を望む

 前日,山中で迷ってしまったので改めて調査をやり直すべく、今度はスタート地点になる四賀地区五輪平の入り口から歩く。
 県道302号(矢室明科線)五常の藤松屋商店の脇の沢沿いの道を詰める。地図には書かれていないが、この道は林道中北山線の起(終)点につながっており、そこが五輪平の入り口でもある。五輪平は林道を越えて500m(県道からは2km)ほど下がった所に開けた平地で、山中の隔絶された場所ではあるが日当たりがよく、3戸ばかりの家があってそのうちの1戸には今も野菜をつくりながら暮らしている人がいる。
   
 林道起点に車を置いて14:52発。2年前にも2度3度と調査した道であるが、わずかの間に周りの木の枝が繁って張り出したり道に小潅木が生えたり、さらには倒木が道を塞ぐなどしてすっかり歩きづらくなっているのに驚く。
 この日の目的は、前日の帰り道で迷った890mのピークまで行って迷った原因を突き止め、林道天田線につながる道を見つけること,それがだめなら境界線の途中から明科大足地区に下る道を見出すことである。
          
 15:24,890mピークの登り口に到達。ここからまっすぐ登れば標識2号と祠のあるピークに達するのだが、迂回する道があるのでそちらを選んで進む。その道はしかし沢山の倒木が折り重なっており,倒れた木を跨いだり下を潜ったりしなければならなかった。
 100mほど進んだ所に馬頭観音があり、そこからピークに攀じ登ることもできる。そこまで来て前日の到達点とつながった安心感からピークに登るのを後まわしにして前日迷った地点を先に突き止めようとそのまま道を進む。
 その時点ではそれまで西進していた境界線が890mのピークからほぼ直角に左折して南に向かうということ、従って現在歩いているその道は境界線からは離れていくと言うことをすっかり忘れていた。正しく境界線を辿るためにはピークに上がらなければならなかったのだ・・。
 それを忘れてどんどんと進むうちに突然舗装された林道に出る。エッと驚いて標識を見るとそこは前日通った林道天田線の天田峠で、そしてそのすぐ上にある天田神社の境内に行き着いて初めて、それが2年前に同じ間違いをして迷い着いた神社であることに気づき、ようやく890mのピークに登って進路を変えなければならなかったこと思い出した。何と言う頭の悪さ・・!














 間違えて天田神社に出た
 時刻15:40。大急ぎで890mピークに向けて戻り、北西側(天田神社側)からピークに登る(16:02着)。何とその道は前日のピークからの下山の際に、境界線の道だと思って回避した道だった。つまりその道を下っていれば元来た道ではないにしても天田林道に出ることが出来、林道に出ていればそこから1km歩いて車に戻ることが出来たのだ。
 前日はその道を境界線の道,即ち南に向かう道だと思い込んでいた。なので大足・天田方面に下るためには右に進路を取って西に向かわなければならないと思ったのだが、実際には180度間違えて東に進んでいたのだ。その途中から下ったために大足・天田とはまったく逆の生竜地区に下ったに違いない。














 前日歩いた稜線戸廃屋を望む
 これで謎が解けたが、失敗の原因はどのように歩いて890mピークに達したかが解らなかったこと、そのためにピークで方向感覚を失ったことにある。何度も歩いている山でこのような間違いを起すなど断じてあってはならないことなので、もう一度前日の歩きを再現してどう間違えたのかを確かめなくてはならない。
 これ以上進むと車に戻る時間がなくなるので一旦戻って大足地区に車を廻し、改めて前日歩いたコースをもう一度確かめることにする。
 16:44,出発点に戻り終了 

  


Posted by okirakutozan at 10:26Comments(0)長野

2009年10月29日

道迷い・山中彷徨・・・つるべ落としの秋の日に

旧四賀村一周境界線ハイキング・バリエーションルート調査山行
  ~里山道を歩く・・・四賀村五輪平から明科町大足へ~
2009年10月22日(木)  長野県松本市・安曇野市境界山域(無名)
記録者 山のあしおと小学校 木偶野呂馬







 2年前の11月18日に歩いた旧四賀村境界線ハイキング第9行程のバリエーションルートを開拓すべく、旧明科街潮の天田地区から境界線を目指して歩く。
 林道天田線の終点から境界線までを踏査して境界線沿いに南下し、県道に出る道を見届けて車に戻るつもりが下山道を間違えて生竜と言う地区の林道に出た。
 日没寸前のギリギリ時刻に林道に到達して事なきを得たが、車を置いた位置からはとんでもない方向に下りてしまった。

 林道天田船の終点の廃屋近く(標高780m)に車を置き15:40出発。廃屋の庭を抜けてかすかな踏み跡を辿るとすぐに別の林道に行き当たる。この道は県道四賀線沿いの大足と言う地区につながる道で、潮地区とはひと山隔てていて天田線とはつながっていない。両者の距離はわずか3~400mほどだが、共に県道からの標高差が230mもある急傾斜地のこの地区には、それぞれに数戸の人家があるだけなので両地区を結ぶ道路が敷設されなかったのだ。その数戸の人家も今は廃屋となって朽ち果てるのを待っていると言う状況ですでにして集落でさえない。
 四賀・明科の境界線沿いにはこのような廃屋が無数にあり、境界線を歩く山行はこのような荒れ果てた廃家・廃屋や山深い1軒屋に独居するお年寄りの姿をつぶさに見て歩く山歩きでもあるのだ。
 林道を上に向かって歩き始めた時に、右手の廃屋から1台の車が出てきたので戻って乗っていた中年の男性に周辺事情を聞く。今は廃屋のその家から子どもの頃は学校に通ったと言うその男性は、1日おきに畑の管理に来ていると言った。






 200mほど歩いて最後の廃屋の前を通り、薮に覆われた踏み跡を辿って尾根に攀じ登る。左折して遮二無二登ること5分で『標柱4号』と言う標識を見る(15:55)。『地すべり防止』の対策を表わすこの手の標識はよく見かけるが、何号かまでは覚えていない。そのまま直進すると6分後に『3号』標識にぶつかる。その先から道が右手の尾根を避けて左寄り進み、16:11 に『掘平』と言う墓地のある三叉路に出る。
 左の道は下って行く感じだったので右折して小高い場所を目指し、鹿道を辿って見通しの効く場所に出てみたが期待はずれだったので引き返したものの、その戻り道がわからなくなって探し回るうちに2年前に歩いた境界線ルートの『標識2号』と小さな祠のあるピーク(890m)に出た(16:17)。
 境界線上にいることがわかったのでこれを下れば県道に出られるのだが、この日の目的は境界線と林道天田線をつなぐルートの踏査なので、車のある位置へのルートを確定しなければならない。
 車があるのは境界線より西寄りであるから2号標識から西に派生する尾根を下らなくてはならないと判断して下り始めたが、途中でつけた目印はおろか掘平の墓地もが見つからない。がしかし自分の頭の中では西~北西寄りに下っている筈だからと踏み跡を辿ってひたすら下る。






 ランプを持って来なかったので16:30を過ぎるとちょっと心配になってきた。日没まで1時間弱,明るいうちに人家のある付近まで下らなければと少々焦る。
 16:48,やっと廃屋を見つける。家の前を通過して小さな谷にかかる木の橋を渡った少し先に栗林があった。その感じが以前間違えて彷徨った場所に似ている気がした。その場所であれば果樹園を登りきったところに広い道があって、それを下れば左下の林道があるはずだった。左手にもう1つ廃屋が見えていたので、そちらを選ぶ選択肢もあったが、過去の記憶に引きずられ果樹園の急斜面を登りきって出た道は以前のそれとは違う気がした。
 道があるにはあったがいくら下っても林道が見えない。だが下るしかない。そのうち道がなくなって沢に下りてしまった。知らぬ沢は地獄・・,ヤバイなと思う反面、滝があるような大きな沢ではないはずなので沢にいる方が確実に里に出られると考えてそのまま下るうちに砂防堰堤にぶつかる。
 天田地区に砂防のあるような沢があっただろうか?,あったとしても5つも6つもあるはずはないから里は近い・・,等と考えながら下るうちに第2,第3の堰堤からさらに第4,第5と堰堤が続き、7つ目の堰堤を越えた所でようやく大きな重機のある工事現場に出る。時刻17:18。まだ見える時刻ではあるが10分後にはとっぷりと日が暮れた。

 林道を下ると行く手上空に高速道路の巨大な橋が見えて来た。さらに境界線の東にあるはずの送電線鉄塔を西側に見るに至って、自分が境界線の東側に下りた来たことを知り仰天した。天田地区のどこかの沢沿いに下ったと思っていたものがまったく方向違いの旧四賀村に降りていたのだ。どう間違えばこちら側に降りられるのかまったく解らず、キツネにでも化かされた感じだ。そういえば途中でムジナを見たっけ・・。
 そんなこんなで2年前に一緒に歩いた小月さんに電話して拾いに来てもらい、天田まで車を回収に行ったと言う次第。
 どこでどう間違えたのか、これから再検証に行く。   


Posted by okirakutozan at 02:50Comments(0)長野

2009年10月24日

赤薙山(2009.10.24)

女峰に行く筈だったのに・・・ 
2009年10月24日 栃木県日光市 赤薙山 記録者 ぺんぎん隊副隊長

高原ハウス(6:55)~小丸山(7:34)~焼石金剛(7:55)~山頂(8:22)~小丸山(9:24)~高原ハウス(9:56)

赤薙山を越えて女峰山までのピストン山行を計画し埼玉の友人を誘って山行を決めた。日も短くなって来たのでロングアプローチであるこのコースも年内中に安全登山をするにはそろそろ限度になる。多少天気の不安はあったが「降らなければ何とか・・・」くらいのつもりでJR日光駅前を集合地に決め当日を迎えた。

JR日光駅前で4:30合流し一台を日光市立図書館にデポして霧降高原に向かう。高原ハウス駐車場には5:00に到着。夜明けを待ちながら仮眠を取るが6時を過ぎても明るくならない。漸く周囲が明るくなり出したのが7時近くなっていたが、それと同時にその理由も判明した。駐車場から第3リフト終着点である小丸山を見上げるとリフト小屋から上は雲の中である。



リフトゲレンデの横に位置する登山道を登り始める。登山道の中央部分は水の通り道になるらしく大きく削られて歩きにくい。こんな登山道はそれを避けるために両脇にどんどん踏み跡が増えて広く広くなって行ってしまうに違いない。
二回ほど急登をこなすと第三リフト終点から来る道が鹿避けネット外で合流して小丸山に着く。
小丸山から上は予想通りに雲の中で100mの視界が精一杯。

丸山に向かう登山道を右に分けて稜線を真っ直ぐに登る。背の低い笹原を登る間、左側の谷間から雲が競り上がり寒風がヤッケを揺らしている。徐々に溶岩質の岩が目立ち始める。尾根幅20m一面が岩だらけで縦横に踏み跡が走る。確かにどこをどう歩いても尾根さえ外さなければ良い感じだ。
霧の中に「焼石金剛」の表示板を見て自分の位置を知る。

焼石金剛からは笹を踏み分けた馬の背尾根を行く。晴れたらずいぶんと眺めが良かろうかと思うが天候はここに来て霧雨となる。馬の背を過ぎ赤薙山頂直下の急登に入る。木の根に掴まりながらよじ登る様な場面もあり息が切れて来る。

漸く傾斜も弱まり平たんになると鳥居と祠が据えられた赤薙山山頂だ。

赤薙山山頂で三等三角点標石を従えて記念撮影。

実はこの三等三角点には悔しい思い出がある。

今年の春、まだ雪が残る赤薙山に登った。私は登頂した記念に三角点標石とその周囲の風景を必ず写真に収めて来る。その時もそのつもりで登って来た。しかし雪が積もる山頂に三角点標石を探し当てる事が出来なかった。「ここか!あそこか!」とストックを雪に刺しては標石を探っていたがついに見つからずに諦めてラーメンを作って食べた正にそのお尻の下に標石は埋まっていたのだ。
今回はそんな悔しい思い出のある標石をカメラに収める事が出来て少なからず満足した。

天候は悪くなる一方で霧雨からしっかりとした雨脚に変わっている。本当なら祠の裏側に見える女峰山だが、今はその山肌さえも眺める事が出来ない。

「今日は勘弁してやるか!」

友人と相談して女峰山を目指す事は次回延期と決めて下山。
その横で息子の顔がほころんだのを見逃さない私でありました。(笑)

  
タグ :栃木


Posted by okirakutozan at 13:49Comments(0)栃木