2010年08月01日
尾瀬・2
これが最後か・・,燧ヶ岳
7月24日(土)4
登山口発10:40。木道が終わると大岩混じりの沢状の歩きにくい道となる。しばらくは前方に見えていた3人の姿も遠のいて1人遅れとなる。減量を怠って昨年より3kg以上増えている分だけ体が重く、筋力,持久力が確実に落ちているのを如実に感じながらの登高で、大岩の道が終わって再び木道になるまでの50分間はきつかった。
登山口で休んでいた時、野鳥の声を楽しんでいた軽装の男女の2人連れに『広沢田代まで行ってみようと思うんですが、どれくらいかかりますか?』と聞かれた。『私は荷が重くて遅いので参考にはならないと思いますが、お2人の格好なら地図にある通り1時間程度じゃないでしょうか』と答えると、『別の隊が見晴を4時に出て燧ヶ岳に登っているので出会う所まで行ってみようかと・・』と言って10分ほど先に発って行った。前方にその2人連れの姿が見え、追いついたと思ったのに再び離されてまた1人になる。
ようやく広沢田代の広がりを目の当たりにした時、ベンチで休んでいたのは先の2人連れのみで@ki等3人の姿はなかった。11:46,休まずベンチ脇を通過して先行する3人を追うもすでに次の登りに入ったらしく湿原にその姿はなかった。次の熊沢田代へは目の前にある大きな塊を超えねばならない。
12:00,その登りに差しかかる辺りで10分休んで歩き出そうとした時、上方から大きな集団が賑やかに降りて来て5分あまり待たされる。5分を10分以上に感じさせる悠長さとハラハラさせられるおぼつかない足取りは高年のグループの下りゆえ致し方ないが、出鼻を挫かれて少々焦る。
12:15発。地図通りに広沢田代から50分で熊沢田代まで登るのは無理があり、1986mのピークを超えて湿原の入り口に辿り着くまでに40分あまり,標識のあるベンチまでは55分を要した。広沢のベンチからは70分かかったことになる。
13:10熊沢田代着。そこに@ki嬢が伝令役で残り、絶好調のsarusippoさんには先に頂上まで行ってもらい、新人のmanaさんをuttiさんがリードして今しがた出たところだと言う。彼等は20分前にそこに着いていたそうなので遅かったのは自分1人と言うことのようだ。
13:20発,ワタスゲの坂道を先行するuttiさんと@kiさんの姿がカッコよく、また振り返ると湿原の中の目玉のような池塘が美しい。
すでにバテかけていたので追うのをやめてペースダウンし、山頂付近でのビバーグを考え始めていた時、思いがけず水場に遭遇。天佑とばかり小躍りして3ℓの水を補給する。
14:30,雪渓のある沢を直上,20分かかって沢を抜けると下から見えていた裸地に差しかかり15:00丁度にそこを通過。
さらに40分かかって予定より大幅遅れ(1時間15分)の15:35,俎嵓に到達。柴安嵓登頂は16:07となる。先に着いていたsarusippoさんには随分待たせてしまった。
山頂で記念撮影の後、その後の行動をビバークを含めて検討し下山を決める。見晴着は早くて19時,遅ければ20時か・・。
16:15下山開始。柴安嵓からは急峻と言うほどではないがかなりの勾配を一気に下り、40分ほどで沢筋に到達する。沢筋とは言っても上から見るとそこはまだかなり高い位置にあり、斜度を落としつつ見晴まで延々と樹林帯をの道が続いているのがわかる。ここからが長いのだ。
時刻16:57。後続を待ってmanaさんの表情を伺い、意志を確認してビバークしないことを決める。以後もsappoさんが先行し、manaさんを@kiさん,uttiさんがリードすると言うパターンで自分はsappoさんを追ったが身軽な彼女には追いつけず、切り替えて要所要所で後ろを待ちながらゆっくり歩く。
17:19,石車に乗って激しく転倒したついでに座り込んで休憩。丁度そこに『見晴まで3km』の標識があるのを見る。同24,後ろで話し声と足音が聞こえたので出発。
そこから歩けども歩けども『見晴へ2km』の標識に行き着かず、30分あまり歩いてへたり込む。18:00右手前方に2度目の雷鳴を聞く。まだ遠いがパラパラッと雨が落ち始める。
さらに30分歩いても2kmの標識はなく、後ろとの距離が気になって18:27から大きな木の下で待つ。この間に雨粒が大きくなり雷鳴も近くなってきたのでザックカバーをつけ、雨具を着てヘッドランプを点ける。
待つこと40分あまり,さすがに心配になり、荷を置いて迎えに行こうかと思い始めた時,樹間にランプの光が見えホッとする。先方も同じ思いだったようだ。一度近づいた雷鳴はいつしか遠のき、雨も幾分小降りになる。
19:10,後続を吸収して歩き始めたすぐ先に『見晴へ2km』のポスト。『ええッ』『あんなに歩いたのにぃ~』の声が上がる。
この残り2kmの標識は明らかにおかしい。その証拠にものの15分ほどで尾瀬沼と見晴を結ぶ木道に出てそこには『見晴へ0.6km』とあり、さらに20分でキャンプ場に着いたのだ。標識通りなら『残り3km』から『残り2km』の1kmを70分で歩き、最後の2kmを35分で歩いたことになる。
まっすぐキャンプ場に向かい、テン場を確保。先に着いたsappoさんが受付を済ませてくれており、遅くなったので夕食はつくらず行動食で済ませることとし、希望者は小屋泊まり可とする。
sappoさんが小屋泊を希望し、他はテント泊となるり早々に就寝。直後に激しい雷雨となったらしいが白河夜船で明け方までぐっすり眠る。
かくのごとく今年も雷雨に見舞われたが、一昨年の稜線での激しい雷雨と目の前の岩への落雷,風速?十mの強風に比べれば今年の雷は赤ん坊クラスだ・・。
続く
7月24日(土)4
登山口発10:40。木道が終わると大岩混じりの沢状の歩きにくい道となる。しばらくは前方に見えていた3人の姿も遠のいて1人遅れとなる。減量を怠って昨年より3kg以上増えている分だけ体が重く、筋力,持久力が確実に落ちているのを如実に感じながらの登高で、大岩の道が終わって再び木道になるまでの50分間はきつかった。
登山口で休んでいた時、野鳥の声を楽しんでいた軽装の男女の2人連れに『広沢田代まで行ってみようと思うんですが、どれくらいかかりますか?』と聞かれた。『私は荷が重くて遅いので参考にはならないと思いますが、お2人の格好なら地図にある通り1時間程度じゃないでしょうか』と答えると、『別の隊が見晴を4時に出て燧ヶ岳に登っているので出会う所まで行ってみようかと・・』と言って10分ほど先に発って行った。前方にその2人連れの姿が見え、追いついたと思ったのに再び離されてまた1人になる。
ようやく広沢田代の広がりを目の当たりにした時、ベンチで休んでいたのは先の2人連れのみで@ki等3人の姿はなかった。11:46,休まずベンチ脇を通過して先行する3人を追うもすでに次の登りに入ったらしく湿原にその姿はなかった。次の熊沢田代へは目の前にある大きな塊を超えねばならない。
12:00,その登りに差しかかる辺りで10分休んで歩き出そうとした時、上方から大きな集団が賑やかに降りて来て5分あまり待たされる。5分を10分以上に感じさせる悠長さとハラハラさせられるおぼつかない足取りは高年のグループの下りゆえ致し方ないが、出鼻を挫かれて少々焦る。
12:15発。地図通りに広沢田代から50分で熊沢田代まで登るのは無理があり、1986mのピークを超えて湿原の入り口に辿り着くまでに40分あまり,標識のあるベンチまでは55分を要した。広沢のベンチからは70分かかったことになる。
13:10熊沢田代着。そこに@ki嬢が伝令役で残り、絶好調のsarusippoさんには先に頂上まで行ってもらい、新人のmanaさんをuttiさんがリードして今しがた出たところだと言う。彼等は20分前にそこに着いていたそうなので遅かったのは自分1人と言うことのようだ。
13:20発,ワタスゲの坂道を先行するuttiさんと@kiさんの姿がカッコよく、また振り返ると湿原の中の目玉のような池塘が美しい。
すでにバテかけていたので追うのをやめてペースダウンし、山頂付近でのビバーグを考え始めていた時、思いがけず水場に遭遇。天佑とばかり小躍りして3ℓの水を補給する。
14:30,雪渓のある沢を直上,20分かかって沢を抜けると下から見えていた裸地に差しかかり15:00丁度にそこを通過。
さらに40分かかって予定より大幅遅れ(1時間15分)の15:35,俎嵓に到達。柴安嵓登頂は16:07となる。先に着いていたsarusippoさんには随分待たせてしまった。
山頂で記念撮影の後、その後の行動をビバークを含めて検討し下山を決める。見晴着は早くて19時,遅ければ20時か・・。
16:15下山開始。柴安嵓からは急峻と言うほどではないがかなりの勾配を一気に下り、40分ほどで沢筋に到達する。沢筋とは言っても上から見るとそこはまだかなり高い位置にあり、斜度を落としつつ見晴まで延々と樹林帯をの道が続いているのがわかる。ここからが長いのだ。
時刻16:57。後続を待ってmanaさんの表情を伺い、意志を確認してビバークしないことを決める。以後もsappoさんが先行し、manaさんを@kiさん,uttiさんがリードすると言うパターンで自分はsappoさんを追ったが身軽な彼女には追いつけず、切り替えて要所要所で後ろを待ちながらゆっくり歩く。
17:19,石車に乗って激しく転倒したついでに座り込んで休憩。丁度そこに『見晴まで3km』の標識があるのを見る。同24,後ろで話し声と足音が聞こえたので出発。
そこから歩けども歩けども『見晴へ2km』の標識に行き着かず、30分あまり歩いてへたり込む。18:00右手前方に2度目の雷鳴を聞く。まだ遠いがパラパラッと雨が落ち始める。
さらに30分歩いても2kmの標識はなく、後ろとの距離が気になって18:27から大きな木の下で待つ。この間に雨粒が大きくなり雷鳴も近くなってきたのでザックカバーをつけ、雨具を着てヘッドランプを点ける。
待つこと40分あまり,さすがに心配になり、荷を置いて迎えに行こうかと思い始めた時,樹間にランプの光が見えホッとする。先方も同じ思いだったようだ。一度近づいた雷鳴はいつしか遠のき、雨も幾分小降りになる。
19:10,後続を吸収して歩き始めたすぐ先に『見晴へ2km』のポスト。『ええッ』『あんなに歩いたのにぃ~』の声が上がる。
この残り2kmの標識は明らかにおかしい。その証拠にものの15分ほどで尾瀬沼と見晴を結ぶ木道に出てそこには『見晴へ0.6km』とあり、さらに20分でキャンプ場に着いたのだ。標識通りなら『残り3km』から『残り2km』の1kmを70分で歩き、最後の2kmを35分で歩いたことになる。
まっすぐキャンプ場に向かい、テン場を確保。先に着いたsappoさんが受付を済ませてくれており、遅くなったので夕食はつくらず行動食で済ませることとし、希望者は小屋泊まり可とする。
sappoさんが小屋泊を希望し、他はテント泊となるり早々に就寝。直後に激しい雷雨となったらしいが白河夜船で明け方までぐっすり眠る。
かくのごとく今年も雷雨に見舞われたが、一昨年の稜線での激しい雷雨と目の前の岩への落雷,風速?十mの強風に比べれば今年の雷は赤ん坊クラスだ・・。
続く
2010年08月01日
尾瀬・1
いつも通りの尾瀬入り
7月23日(金)
浦佐駅発13:40のバスで奥只見ダム,ダムから船で尾瀬口,尾瀬口からはバス・・,と乗り継いで16:25に小沢(こぞう)平着。準備を整えて16:33小沢平発,渋沢(しぼっつぁ)温泉小屋に向かう。
初日の歩きは温泉小屋までの1時間あまりのみで、見事なブナ林の中をゆっくり歩いて18:04温泉小屋に着く。
渋沢温泉小屋は馴染みの宿で、山小屋嫌いの自分が泊まる殆ど唯一の山小屋と言える。小屋の主は若い人に代替わりして先代には会えなかったが、翌朝の早発ちに向けて5時半からの朝食をと言う要望を快諾してもらえた。
入浴後の夕食では心づくしの山菜料理を前に新しい出会いに乾杯し、翌日からの健闘を誓い合う。9時消灯。長旅の疲れで一同たちまち深い眠りに落ちた様子。
昨年剣岳を一緒に縦走した@ki嬢が『今年は尾瀬にでも行こうか』との提案に乗ってトントン拍子に話しが進み、広島在住の山のサイトで参加を呼びかけたところ3名の参加があって燧ヶ岳~尾瀬ヶ原~至仏山を幕営・縦走するパーティーが編成された。
広島隊は22日20:10発の夜行バス~上越新幹線を乗り継いで、長野(木偶)からは車と新幹線で浦佐駅に集結。募集の参加者3名と木偶とは初対面。
裏燧林道
7月24日(土)
4時に起きて地下足袋で本流まで行き竿を出す。目印を忘れて糸のたるみが見えず、根がかりして仕掛けを切る。錘をつけようとしたが暗くて小さなガン玉がうまくつけられず、錘なしで餌の川虫を流れに乗せて送り込むもアタリなく、30分ほどで時間切れとなる。
渋沢温泉小屋は代変りして若い人が主となっていたが、早朝の出発に合わせて5:30に朝食を~と言う要望に快く応えてくれ、予定通り,6:27に小屋を発つ。
渋沢温泉親から天神田代へは小屋の前を通り抜けて露天風呂のある河原を上流に向かい、沢を渡って対岸の崖にかけられた階段を上がってから急登の登山道となる。先週白山に登ったのがいい足慣らしになって調子がよい~と言う話をしたらすぐ後ろにいたsarusippoさんも先週白山に登ってきたと言い、偶然の符合に驚く。
白山より西に白山より高い山はないと言うことを知ったばかりだが、燧ケ岳より北にも燧ケ岳より高い山はなく、図らずも1週間を経て東西両端の高峰に登ることになったのだが、それが偶然同じパーティーで2人揃ったと言うのも奇縁であろうか。
sarusippoさんはおそろしく元気がよく、また小柄ながら動きがシャープでフットワークが軽く、最初の休憩後『先に行って好きなように歩湿原を楽しんで下さい』とトップを代わってもらったらたちまち見えなくなってしまい、以後、常に彼女が先導する形となる。
途中で10分弱の休憩を挟んで8:28天神田代着。sarusippoさんは飛んで行ったらしく姿なし。少し長めに休んで行動食を摂り8:50出発。ここからは新人のmanaさんを@kiさんとuttiさんにリードしてもらい、ボッカに専念してラストを行く。珍しく裏燧林道を行き交う人が多い。
しばらく樹林帯が続き、30分ほどで目の前が開けて湿原が広がる。9:20御池へ2.0kmのポスト通過,同:24ヌメリ田代,キンコウカの黄,コバノギボウシの紫,ワタスゲの白が目立つ。
9:35上田代着。sarusippoさんにやっと追いつくも彼女は御池まで行きたいのでとすぐに発つ。ここではヒメシャクナゲやトキソウ,モウセンゴケなどの小さな植物を見る。上田代からは平ヶ岳眺望がよく、また越後駒ヶ岳方面を望むことが出来る。燧ケ岳の山頂方面も少しだけ見える。
9:50遅れて出発。10:02姫田代通過,10:14燧ケ岳登山口着。女性3人とも御池に行っている間,流れの水を補給する。朝から暑くて水の消費量が多い。
10:43登山開始。sarusippoさんが真っ先に飛び出し、次に顔を合わせたのは柴安嵓。次いで@kiさんとuttiさんがmanaさんを引っ張って先を行き、離れてnobouがしんがりと言うパターンが出来上がる。
7月23日(金)
浦佐駅発13:40のバスで奥只見ダム,ダムから船で尾瀬口,尾瀬口からはバス・・,と乗り継いで16:25に小沢(こぞう)平着。準備を整えて16:33小沢平発,渋沢(しぼっつぁ)温泉小屋に向かう。
初日の歩きは温泉小屋までの1時間あまりのみで、見事なブナ林の中をゆっくり歩いて18:04温泉小屋に着く。
渋沢温泉小屋は馴染みの宿で、山小屋嫌いの自分が泊まる殆ど唯一の山小屋と言える。小屋の主は若い人に代替わりして先代には会えなかったが、翌朝の早発ちに向けて5時半からの朝食をと言う要望を快諾してもらえた。
入浴後の夕食では心づくしの山菜料理を前に新しい出会いに乾杯し、翌日からの健闘を誓い合う。9時消灯。長旅の疲れで一同たちまち深い眠りに落ちた様子。
昨年剣岳を一緒に縦走した@ki嬢が『今年は尾瀬にでも行こうか』との提案に乗ってトントン拍子に話しが進み、広島在住の山のサイトで参加を呼びかけたところ3名の参加があって燧ヶ岳~尾瀬ヶ原~至仏山を幕営・縦走するパーティーが編成された。
広島隊は22日20:10発の夜行バス~上越新幹線を乗り継いで、長野(木偶)からは車と新幹線で浦佐駅に集結。募集の参加者3名と木偶とは初対面。
裏燧林道
7月24日(土)
4時に起きて地下足袋で本流まで行き竿を出す。目印を忘れて糸のたるみが見えず、根がかりして仕掛けを切る。錘をつけようとしたが暗くて小さなガン玉がうまくつけられず、錘なしで餌の川虫を流れに乗せて送り込むもアタリなく、30分ほどで時間切れとなる。
渋沢温泉小屋は代変りして若い人が主となっていたが、早朝の出発に合わせて5:30に朝食を~と言う要望に快く応えてくれ、予定通り,6:27に小屋を発つ。
渋沢温泉親から天神田代へは小屋の前を通り抜けて露天風呂のある河原を上流に向かい、沢を渡って対岸の崖にかけられた階段を上がってから急登の登山道となる。先週白山に登ったのがいい足慣らしになって調子がよい~と言う話をしたらすぐ後ろにいたsarusippoさんも先週白山に登ってきたと言い、偶然の符合に驚く。
白山より西に白山より高い山はないと言うことを知ったばかりだが、燧ケ岳より北にも燧ケ岳より高い山はなく、図らずも1週間を経て東西両端の高峰に登ることになったのだが、それが偶然同じパーティーで2人揃ったと言うのも奇縁であろうか。
sarusippoさんはおそろしく元気がよく、また小柄ながら動きがシャープでフットワークが軽く、最初の休憩後『先に行って好きなように歩湿原を楽しんで下さい』とトップを代わってもらったらたちまち見えなくなってしまい、以後、常に彼女が先導する形となる。
途中で10分弱の休憩を挟んで8:28天神田代着。sarusippoさんは飛んで行ったらしく姿なし。少し長めに休んで行動食を摂り8:50出発。ここからは新人のmanaさんを@kiさんとuttiさんにリードしてもらい、ボッカに専念してラストを行く。珍しく裏燧林道を行き交う人が多い。
しばらく樹林帯が続き、30分ほどで目の前が開けて湿原が広がる。9:20御池へ2.0kmのポスト通過,同:24ヌメリ田代,キンコウカの黄,コバノギボウシの紫,ワタスゲの白が目立つ。
9:35上田代着。sarusippoさんにやっと追いつくも彼女は御池まで行きたいのでとすぐに発つ。ここではヒメシャクナゲやトキソウ,モウセンゴケなどの小さな植物を見る。上田代からは平ヶ岳眺望がよく、また越後駒ヶ岳方面を望むことが出来る。燧ケ岳の山頂方面も少しだけ見える。
9:50遅れて出発。10:02姫田代通過,10:14燧ケ岳登山口着。女性3人とも御池に行っている間,流れの水を補給する。朝から暑くて水の消費量が多い。
10:43登山開始。sarusippoさんが真っ先に飛び出し、次に顔を合わせたのは柴安嵓。次いで@kiさんとuttiさんがmanaさんを引っ張って先を行き、離れてnobouがしんがりと言うパターンが出来上がる。
Posted by okirakutozan at
10:23
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