飯山,柄山スノーシューハイク

okirakutozan

2009年12月26日 03:42

雪の野山を歩くスノーシュー&歩くスキーハイク
里山楽会・境界線2月山行 参加者:木偶野呂馬,他7名 記録者:木偶野呂馬
 




 09年2月14日(土)
 奈良市の友人,M氏が飯山市柄山に古民家を借りており、雪かきをすることを条件に自由に使わせてもらえることになっているので、その古民家を宿舎として、雪の野山を歩くスノーシュー&歩くスキーハイクを企画した。おりしもM氏が彼の友人で近年奈良から安曇野に移住したS氏を伴って柄山に来ており、我が境界線のメンバーと併せて8名の賑やかな山行となった。

 






 例年よりはるかに少ないとは言え雪は軒のすぐ下まであり、1日早く着いたM氏とS氏が前日から頑張ったそうだが、玄関周りも庭もまだまだ大量の雪が・・。
 すぐに全員で作業にかかり、人数にものを言わせて奮闘2時間弱で地面が見えるほどになった。M氏も『ここまでになるとは・・』と満足そう。
 昼食後,さっそく裏山のブナ林から上の農場方面に向けてスノーシューハイキングに出かける。その案内をM氏に任せて1人残り、夜の宴の準備にかかる。

 






 ハイキングを終えて冷えた身体を地元の温泉で温め、夜は暖かい部屋で合成にブイヤベースを囲んで持ち寄りの地酒を酌み交わしながら交流・・。
 自己紹介を兼ねてそれぞれの山への思いをこもごもに語るうちに初対面同士和やかにうちとけて宴たけなわとなり、かくして柄山の夜はふける・・。

 






 2月15日(日)
 温井と柄山をつなぐ農道『みゆきのライン』のスノーシェードのある辺りからスノーシュー,スキーに履き替え、広大な農地の雪原を歩いて信越トレイル稜線上の梨平峠を目指す。農地を越えて距離3kmあまりの尾根を登る。
 前日の重苦しく暗い空から一転してピーカンの空模様となり、8時過ぎにして早くも陽射しが暑く汗が目に入る。シールのある山スキーならともかく歩くスキーでの登高には無理があり、立ちはだかる斜面に最初からたじろぐ。

 






 歩き始めて30分,鍋倉山を望む丘に出た。そこから目の前の大きなピークに向けての本格的な登りとなり、小気味よく登って行くスノーシュー組からは大きく遅れてしまった。一歩一歩ステップを切って階段登高で行くしかなく、ゆっくり追いかけると腹を決めた。急斜面との格闘20分でピークに這い上がり、ようやく先行するスノーシューを捉える。前方に信越トレイルの稜線が見えてきた。

 






 そこから先に広大な農地が広がっており、緩やかになった斜面を登り詰めて行くと、『この林を切り開いて農地にしました』と見本のようにブナ林が残されている場所に出た。抜けるような青空が広がり、ジリジリと照りつける太陽が眩しくも暑くもあって日陰が欲しい頃合いだったのでそこから林の中に入る。







 過密なほどの若いブナの純林を進むうちにそこがまだ開発されていない山林の末端であることが分かる。ひときわ目を引く瘤を抱えた特異な風貌のブナを見る。このような巨大なものは珍しい。
 例年の3分の1しか無いと地元の人が言うほど雪の無い冬。豪雪地帯の飯山にしてこの有様で、早くも根回り穴が口を空けている。4月下旬の様相だ。

 






 密林を抜けるとやや疎林となるがどこまでも続くブナ林である。そこから本格的な登りが始まるり、やがて急斜面の連続となる尾根ではスノーシューが抜群の威力を発揮するのに比べて歩くスキーは四苦八苦して一行からは大きく遅れ、奮闘4時間弱でようやく稜線に到達。そこはしかし目指す梨平峠より一山北よりだと言うことが分かり、スキーでその山を越えて梨平峠を目指すのを断念する。一行の中、M氏とS氏の2人が峠まで行って来るのを待って下山する。

 






 歩くスキーでの急斜面の下山は登り以上に難しく、あまりの急斜面ではスキーを脱いでツボ足で下ったり、スキーを流して谷底まで回収に行ったりと散々で、帰りも大幅に遅れを取った。
 それでもスノーシューを履く気にはなれないので、次からはどこかでスキーをデポしてワカンで歩くことにする。

 
 

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